東京高等裁判所 昭和28年(う)2230号 判決
被告人 伊藤直二
〔抄 録〕
各控訴趣意中事実誤認の論旨について。
被告人が千葉県匝瑳郡豊畑村村長在任中の昭和二十七年三月十七日頃同村収入役林房次から同村の公金十五万円を受取り、これをその頃東京都荒川区三河島町一丁目二千六百六十五番地向後啓司方で同人に対し自己の債務の弁済として支払つた事実は記録上明らかである。
よつて右十五万円は並木橋改修工事資材購入資金として授受されたものであるかどうかについて按ずるに、この点に関する証人林房次の原審公判廷の供述は相矛盾する供述を繰返しており、この供述だけでは未だ以て本件金員が原審の認定したように並木橋改修工事資材購入資金として授受せられたものとは断定し難いものがある。尤も同人の検察官に対する供述調書の中には右金円授受のあつた前日頃被告人から当時同村収入役であつた林房次に対し、右並木橋改修工事の資材を購入するに必要だから金十五万円を支出して呉れとの申出があつたので、その申出の趣旨で同村保有金中から金十五万円を被告人に交付した旨の供述部分があつて、この供述が真実を物語つておるものとすれば、原判決の事実認定は誤りなきに帰する如くであるが、本件記録を通覧し且つ当審事実調べの結果に徴すると、右供述はにわかに信を措き難いものがある。即ち当審で取調べた証人椎名儀一郎、同渡辺喜一、同平山辰之助の各証言を綜合すると、被告人が村長をしていた当時、同村における工事施行に要する費用その他村の支出すべき出費につき、便宜村長であつた被告人が村のために随時立替払をし、後日支払先の領収書によつて精算返還を受けることが従来の慣習に従つて行われていたこと及び昭和二十七年三月当時において被告人が右の趣旨で同村の下田橋架替工事費等村が支出すべき経費に関し、数回に亘つて立替払をなしその金額が三十数万円に及んでおつたことを認め得べく、原審並びに当審における証人角田甚五、同林房次、被告人伊藤直二の各供述を対照考覈すると、被告人は右十五万円の他にもその頃数回に亘り同村の保有金中から右林収入役の手を経て金円の交付を受けていること及びこれらの金円は並木橋改修工事費その他の公用のために支出せられたものばかりでなく、右立替金返還等一時借入金の趣旨で授受せられたものもあつたこと而も右交付金中には被告人と林収入役との間において、その金員授受にあたりその趣旨につき明確なる意思の疏通を欠いておつたものもあつたことが窺いえられる。従つて本件十五万円の授受についてもたとえ右林収入役においてはこれを並木橋改修工事費として交付する趣旨であつたとしても、被告人も亦右の趣旨を確認して受領したものと即断し難いものがあるばかりでなく、却つて金円授受の際右収入役に手交したものと認めえられる被告人名儀の借用証書(昭和二十八年押第六八八号の三)を前顕各証拠に照らして勘案すると、被告人としてはこれを原審判決が認定しておるように並木橋改修工事資材購入資金として受取つたものでなく、前記立替金の返還を受くる趣旨でその精算は後日にこれをする意思のもとに一時借人金名義で村有金の中から金十五万円の内払を受けたものであると認めることが相当であると考えられる。果して然らば村長である被告人が自己の立替金に充当するため収入役に命令して村有金の支出をさせることの当否には暫く措くも、右の所為が横領罪の成立に必要な不法領得の意思を以て為されたものと断ずることは妥当でない。蓋し不法領得の意思とは他人の物の占有者が、委託の任務に背きその物について権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意思をいうのであるが、本件全記録、原審及び当審で取調べた全証拠につき検討しても結局において被告人にかような不法領得の意思があつたものとするには未だ以て証明十分となすを得ない。従つて本件は犯罪の証明が十分でないのに証明十分なものとして有罪の認定をした原判決は事実の認定を誤つたものであり、この誤が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから各論旨は理由がある。